僕は猫である。名前はある。不思議なことに幾つかの名前がある。あちこちに餌をもらいに顔を出す野良猫ならともかく、僕は家猫なのに。どうも我が家の人は名前は多いほうが良いと思っているのではないだろうか。そういえば、ご主人も自身のことを指して幾つかの名前で名乗っていた。毎朝学校とやらに出かける際に跨る二輪の乗り物にも何かしら名を付けて呼んでいた気がする。きっとそういうものなのだろう。良い名前は多いほうが良いのだ。
うむ、ご主人である。我が家は家人も同居猫も同居犬も選り取り見取りであるが、ここでは敢えて彼女を指してご主人と呼ぶことにする。家人の中では僕のことを最も多様な名前で呼ぶのは彼女である。ならばそれは僕に対する寵愛の現れであり、その厚意に忠を以って報いるべくご主人と呼び慕うことに不自然はあるまい。たくさんあるご主人の名前がこんがらがっている訳ではないぞ、決して。
話が逸れた。ともかくご主人についてだ。
ご主人は先刻からこの自室で配信に勤しんでいる。いかにも、配信だ。もちろんご存知だとも。猫も杓子もというやつだ。イマドキそんなことも知らない猫のほうが少ないし、特に僕は賢いのだ。仕組みは不明だがご主人がぱそこんの前でこうして話していることは他の場所に居ても小さなすまほを通して聞くことができるのだ。最初は何処からか姿も見せずにご主人の声が聞こえてくることに驚いたものだが、今ではもう慣れた。なにしろ、我が家の家人は頻繁にすまほを使ってはご主人の配信を視聴しているのである。如何にすまほが猫の手に過ぎる機械であれど、ああも毎日のようにこぞって聞いているのであれば僕にもどういうものか推測できる。あのぱそこんなる機械はきっとこの家以外の場所にもあって、外出しているご主人はそこで配信しているのに違いない。
ご主人が配信を始めるようになってからこの部屋は時間を経て様変わりした。前の春先から活動を開始した記憶と照らし合わせて、その変化の軌跡は劇的だったかと問われると、そうではなかったように僕には思える。配信に用いるぱそこんやらそこらじゅうの器具にしても徐々に揃っていったし、今でも新しい道具が増えることがある。他の部屋と比べて物が少なかったご主人の部屋にとっては大きな変化かもしれないが、傍から眺めていた僕の印象としては革新的な文明開花というよりは試行錯誤の歩みそのものだった。おーびーえすだかえんこーどやらが上手くいかないことがあったからといって、あんなに怒らなくても良かったのではないかと思う。ぱそこん達だってきっと一生懸命に頑張っていることだろう。時には労いの言葉でも掛けてあげても良さそうなのに。
部屋が変われば持ち主も然り、ご主人の過ごし方もいくらかの変化があった。当初はもっぱらこの部屋での配信ばかりだったが今では外出先での配信も多い。夜中に声量を巡って始まる隣室との少し物騒なやりとりがなくなったのはおそらく良いことだけど。(何せ、気分よく微睡んでいる僕のことなんてお構いなしに深夜に溌剌とした歌声や壁の殴打音が響き渡るのだ。)それでも、数日を空けてご主人の居ない部屋を訪れる僕の胸に一抹の寂しさも抱かないと言えば嘘になる。それを踏まえると、今まさにやっているような絵を描く配信は僕とご主人が同じ時間を過ごせる機会なので、今日でもそうした時間を持ってくれるのはおよそ幸いなコトなのだろう。
振り返ってみるとその活動には難儀なことも多かったように思う。新しく考えることや決めることが、元々あった生活でのやるべきことにまるごと加わったのだから。驚くべきことにご主人は自ら望んでそうしたのだと言う。どのような経緯でその道に至ったかは僕の思慮の外だが、その決心と先にあった困難を顧みれば、僕とて義に駆られてご主人の一助となるべく一心に努めることもやぶさかではなかったのだ。
しかしどうだ、ご主人よ。生憎ながら僕は猫だ。一介の愛くるしい家猫に過ぎない。人間である君の苦労など知りたくとも知る由もない。日々をいかにも猫らしく振る舞い、愛らしさを撒き散らし、我が猫生を謳歌することばかりに一辺倒である者だ。君の行く道の助けにはなれない。尤も、猫の手を借りるなど大きなお世話だと君は可笑しく思うかもしれないけれど。それに事実としてご主人は今日まで活動を続けてきているのだから、事情もわからない僕の心配なんてのはただの杞憂も同然だ。でもね、ご主人。ただの猫である僕にでも、これだけはわかるということがあるんだ。
君はきっと求めて誰かの力になれる場所を選んで、それを得たのだろう。そうあることを好しと思える自分や、共に在ることが大いに楽しいひとたちに巡り逢えたのであろうことも。僕はわざわざ家人の視聴する配信を覗き込むことはないが、声だけ聞こえれば十分だ。猫というのはたとえ事情を理解することができずとも、声を聞けばひとの心の機敏はわかるものなのだ。さらに言えば、折につけて部屋の中に増えゆく、君らしからぬ品物たちがとても大切そうに飾られる様子だって僕はずっと見てきたんだから明白である。支えてくれる多くのひとの中にあっては、猫の心配など不要だろうとは重々承知だ。
そこまでわかった上でもひとつだけ、僕が気に掛けることを挙げるとすれば、それはご主人ただひとりだけのことだった。
ご主人よ。困難を厭わずやりたいことを選べるひとよ。人は猫と違って自分のやりたいことをするのがひどく難儀だという言説を小耳に挟んだことがある。成程、確かにそういう意味では君は機会にも周囲にも恵まれていたのかもしれない、君が都度にそう自称するように。多くの支えが在ってその行いは成り立っていることだろう。僕ではたり得ない良き理解者が居てくれたことは喜ばしい。でもね、周囲のあらゆる事柄が自分という存在の前提に立つのだとしても、君の抱いた感情だけはまぎれもなく君自身のものなのだと、たったそれだけは伝えたかったんだ。
貴女の手にした目一杯の楽しさも、不安や期待を伴った数多の決断も、尽くした努力の重みも、それでも至らぬと断じた悔しさも、あるいはもしかしたら後悔や苦悩だってそうだ。そうした多くの感情を握りしめ、目まぐるしい日々の果てに望んだ景色だって、君が君だから勝ち得たものなんだ。それは全部、貴女だけの感動なんだ。
ねえ、だからね。
ほんのたまには、ふとした時にでも。それこそ季節が一巡りする間でたった一度だけだっていい。辿ってきた軌跡を振り返って、こんなに大変なのに頑張ったんだなぁって、手放しに自分を褒めてあげてもいいんじゃないだろうか。それは君が積み重ねてきた全てを知っている、他ならぬ君にしかできないことなのだから。
長い長い道を往く途中、前ばかり見ているのでは疲れることもままあるさ。日々弛まず前向きに猫生を歩むこの僕が言うのだから間違いない。ましてや、君たち人間は僕ら猫よりもよほど長い時を生きていくというじゃないか。であれば、前よりも少なくなった機会にこうして僕が隣に寄り添う間くらい、僕を甘やかすのと一緒に自分のことを褒めてみてもいいんじゃないだろうか。貴女と同じ時を過ごす同居猫として、貴女の居ない我が家からその道行きを遠く案ずる家族として、そう切に願う。
まぁ、そう願ってはみたものの、口惜しいことに僕は君を説得する術を持たない。猫が口に出して伝えられることは猫が甘やかされるための言葉だけなのだ。なんともはや残念無念。そんな僕に出来ることと言えば、君と僕が我が家で共に過ごす決して長くはない時間の中で、君の足元に寄り添って愛くるしくにゃあと鳴くくらいだ。嗚呼、なんと儚くも健気なものだろうか。
む、ご主人よ。今日は膝の上に乗っても良いのですか。それは重畳。普段はそのようなはしたない行いは自重しているのだが(ほんとうだぞ、僕は粗相することなどあんまりない)たまの機会のお誘いとあっては是非もない。ひょいと跳んで椅子に腰掛けたるご主人の膝の上に着地する。これをするとご主人はあれるぎぃとやらが大事になるらしく怒られることすらあるのだが、今日という日の僅かな間くらいならば許されるだろう、うん。決して構ってもらえることが嬉しくて羽目を外してはしゃいでいる訳ではない。さぁ存分に撫でて。今日は首元を親指でくしくしするのが良いな。そうそう、そうやって両脇を掴んで抱っこされながらであれば尚良し。どれ、撫でやすいように少し首を引っ込めて縮こまろうか。我ながらさあびす精神旺盛というものだ。家猫とはかく在るべし。ん? ご主人よ、どうした。撫でるにしては妙な向きではないか。なんだ、ぱそこんの画面なんかの前に僕を持ち上げて。
「ほらっ、そっくりだねぇ。可愛く描けてる。一年経ったら私もかなり上手くなってるでしょ?」
ああ、うん。ご主人よ、君が君を肯定することは僕もなにより喜ばしく思う。だが、だがな、ご主人よ……それだけはな!
私は天井を見つめていたように思います。天井には穴が開いていたような気がします。
剥がれ落ちた漆喰の向こうには煉瓦が幾重にも重なっていて、その向こう側には光の届かない真っ黒な穴がこちらを覗き込んでいました。
ひらひらと上から降ってくる土塊は、二月の雪のようにあたりの音を吸い込んでいました。
私が開けた穴からは土が落ちてきますが完全な無音で、その穴からは冷たい風が吹き込んでくるのでした。
私の二十代を物語風に語るとこんな書き出しになるでしょう。
昔に比べて私は大人になりました。歯医者でも領収書を取っておくようになりましたし、勢いに任せてダサいTシャツを買うことも無ければ、見てくれだけで燃費が悪い車には乗らなくなりました。
昔好きだったアーティストのアルバムを買うことが無くなったし、最近では高校の時に好きだったグループのアルバムばかりを聞いている始末です。
悲しいことに今の樋口さんには想像ができないかもしれませんが、少し年を取ると食べる量が減り始めるという事実に直面して悲しくなる瞬間がそのうち訪れます。
ラーメン屋に行っても昔のように大盛りを二杯食べることも無くなったし、普通盛りで注文することが多くなります。
映画などでも新しいものを追いかけるのがしんどい!それに映画に深い感動も覚えなくなって、自然と分析が好きになり始めます。間違いなく安全さを優先しているなぁと思いつつ、それからレビューを見てから映画を見ることが増えました。さらに言えば昔ほど煙草も吸わなくなりました。
お酒も全く飲まなくなって、いつも酔っているのか醒めているのか分かりません。
子供の頃のように景色を見て眼を輝かせることは減った上に行動範囲が一層狭くなりました。
そうなるともちろん精神だって柔軟さを無くしていきます。
私は趣味で小説を書いていますが、もう何年も似たような話の焼き直しをしている感覚はここ数年来感じ続けていたいらだちの一つでした。
それはもしかすると私が自分の中での限界のようなものにぶち当たってショックを受けていたのかもしれません。それまではなんとか右肩上がりの成長を遂げていたので。
「人はみんな歳をとる」
これは厳然たる事実です。
歳をとっていくというイメージの先にあるのはお年寄りの姿です。毎日テレビをみて、まるで恋の歌のサビのように昔話を繰り返す……。そんな風になってしまうのは嫌だ! まだ若いと思っていたい。
だけどこれでいいのかもしれないという感覚も、同時に覚えつつありました。二つの価値観の間で揺れ動く自分。まるで青春時代の高校生のようですが見た目はちょっと限界な男性です。
とにかく男性は頑張ろうかと考えて苦労をしていたように思うのです。ですが無理をして突破しようとして失敗を繰り返す中で、疲労感は溜まっていく一方で次第に男性は諦めそうになっていました。
そんなときにとあるサイトを見ていると人の音楽に対する好奇心の窓は二〇代で閉じられてしまうということが書いてありました。そのサイトを見た後しばらく男性は動くことを辞めてしまいました。
私が以前にいたジャンルでも活動する人が減っていく中で頑張ってみてもなんとなく気が滅入るばかりなのでもういっそ活動を止めてしまおうと考えていました。
割と真面目にそう考えていました。
つらつらと書きましたがそんな不快感とは今年の一月でおさらばしました。というのもにじさんじと出会ったのです。
Vtuberを見るとき、疑り深くなっていた私はこれもまたどこかで見た何かと重ね合わせて一つ結論をつけようとしていたように思います。しかしながらにじさんじの動画を見かけて何も考えずに見ているとアキ君と一緒に困っている元気そうな樋口さんの姿を見かけました。
そのときの樋口さんはなんだか肩の力を抜いていて、リラックスしていたように思います。うまくできないトラブルですら楽しんでいる樋口さんは今と変わらず、声が良くて活発な女の子という印象を受けました。
そのときの動画は女子高生同士の会話を聞いているような気がして、面はゆい感覚を覚えたのでした。
それから自然とにじさんじ一期生の配信を箱で追い始めるようになったと思います。一週間ほど経ってからのことですが、私は寝る前に自分がわくわくしていることに気がつきました。
気がつけば樋口さんの配信を通して月ノ美兎さんや、えるさんの配信も見始めてその仲間と接している樋口さんの姿をずっと見ていました。
そういえば楓という名前は「かえるの手に形が似ているからかえで」という名前になった説があるようなのである種えるちゃんとの組み合わせはなるべくしてなったのかもしれないですね。
それはともかくとして、毎日をにじさんじとともに過ごし、毎日のように新しい何かを追いかけ続ける中で、私の中でもう目を覚ますことはないと思われていた新鮮な感覚がよみがえってきました。それはわくわく感でした。
歳をとると、人は新しいものに手を出さなくなる。古いものばかり好むようになると私は勝手に考え込んでいました。
わくわくすることはもう無くなり、限られたものの中で楽しもうと努力をすることが多い。古い殻にこもっていただけだったのかもしれない。
新しいことをやってみようか。私はそれから気まぐれでにじさんじのコミュニティを作りはじめました。
自分が好きな文章を一緒に楽しみながらにじさんじを追いかけるというコミュニティです。はじめは誰が来るのだろうかと心配していましたが、それは杞憂ですぐさま人が集まり始めました。
今では二〇〇名くらいの人が集まっています。毎晩のようににじさんじのことについて語りながらたくさんの交流を深めていくなかで、冒頭に述べたような陰を帯びた日々は消え去ってしまいました。それは間違いなく樋口さんに近づこうと努力したからに違いありません。
僕は大人になりました。ですが何もかもを諦めた訳ではないしこれからも樋口さんのように夢を叶えていけるように走っていきたいです。
そして樋口さんライブ開催おめでとうございます。
最初の動画で「夢はライブとかをすることですね」とおっしゃっていた樋口さんでしたが一年も経たないうちに夢を叶えておられて私は感動しています。
何というか本当に夢を叶えるストーリーが始まって、それをリアルタイムで追えていることに感動しています。
本当にありがとうございます。
これからの一年、平成が終わり、新しい時代が始まります。私たちも未だ見ぬ新しい日々の中で樋口さんに光が当たり、周囲の人を今と変わらず元気にさせていく様を私たちの網膜に焼き付けていってほしいです。
乱筆乱文お許しください。遠くからですが応援しています。
今の時期とても忙しくまた次の企画などが立て続けにあると思われますがどうかくれぐれもお体に気をつけてお過ごしください。
天井に開いた穴の向こう側には青空が広がっています。太陽はなぜか透明で暖かく、そこの退屈そうな午後は妙に柔らかく、鳥が鳴き花が咲き人々の笑い声が聞こえる。
私のこれからの一年を物語としたならば書き出しはこうなるでしょう。
小鳥の歌に呼ばれて、目覚ましよりも早く起きた。
カーテンを開けると、まだ夜との別れを名残惜しんでいる黒い空の彼方に、朝焼けが紅を差している。
空気を入れ替えようと窓を開ける。二月の朝の冷たくて澄んだ大気が外から飛び込んできて、まだ寝ぼけている部屋の空気が追い出されていく。
それと一緒に私は身体を伸ばしながらゆっくりと息を吐いて、肺の中を空っぽにして、今度は大きく吸い込む。
いち、にの、さん、し、でそれをもう一度繰り返し、脳に酸素を送り込んで頭を覚醒させる。
今日も良い日になりそうな気がした。
勉強机に置かれた卓上カレンダーの、〈special day〉と書かれた今日の日付に大きく丸を打つ。
「初手は丸、やね」
窓を閉めて、部屋を出た。
朝ごはんを食べると、階段をひとつ飛ばしで駆け上がり、部屋へ戻る。
早く目覚めてしまったのもそうだけど、どうやら気持ちが逸っているらしい。それがどうしてかは、自分でもわかっていた。
世間では平日だけど、私にとっては、そして他の何人かの仲間にとっても、今日は特別な日なのだ。
私がバーチャルライバーとしてデビューしてから、今日で一年。今日は記念配信をする予定だった。
でも今からそわそわしても仕方がない。その前に学校に行かなきゃならないし。
制服に着替えると、真っ白のリボンを後ろ髪に結ぶ。
鏡の前に立って、自分の姿をチェックする。
髪を手櫛で整えながら、私は鏡の中の自分に話しかける。
「おはよ」
『おはよ。準備は万端?』
「前髪がいまいちキマらんなぁ」
『はよ準備せなね』
「でも妥協はせんよ」
それからしばらく髪をいじって、ようやく納得できる状態になった。
「どうや、バッチリやろ?」
キマった前髪を見せつけるように、ポニーテールを揺らしながら鏡に向かってどや顔を決める。
『後ろもよく見せてみ?』
全身が見えるように少し後ろに下がると、スカートを翻しながらくるりと一回転する。
『まあ、ええんちゃう』
鏡の中の私は、私より少しだけ辛口だ。
すっかり学校の準備を整えてしまい、時計を確認する。早起きしたおかげか、まだ時間には余裕があった。
私はまた鏡の前に戻り、かたわらにカバンを置く。
「今日は、配信でなんの話しようかな」
『ふつう、今までの振り返りとかするんやない?』
「それ、一周年っぽくてええね」
『自分が今までどんな話をしてきたかって、覚えてる?』
もちろん、覚えてる。
吹奏楽部やトランペットの話。ヤマハの銀色のかっこいいやつ。
絵の話。自分ではかわいいと思ってた絵にみんなが怖がってて不思議だった。
ゲームの話。つい投げキッスや暴言が出てしまうのは反省。
ネットゲームの話。マビノギを広めるために何度か実況プレイもした。
アニメや声優の話。特にラブライブ。お歌配信もした。
家族の話。かわるがわる部屋にやってくる、ささみちゃんを始めとしたうちの猫の鳴き声をみんなに聞かせてあげた。
野球の話。去年はカープが優勝して嬉しかったな。
食べ物の話。好き嫌いが多いことがみんなにバレてしまった。
その他にもくだらない話や真剣な話、ライバーのみんなの話や将来やりたいことの話。
そんなことばかり話しているうちに、もう一年が経ってしまった。
「もう、一年なんやで?」
『もうそんなになるんやね』
「ほんまにね」
この一年は、本当にあっという間だった。
冬のさなかに活動を初めてから、気づけば季節を四回も跨いでいて。
時間の速さが少し怖くなって、ちーちゃんに時間を止める魔法をかけてもらおうと思ったこともある。
そんな願いは叶わないってわかってたけど。
『一年間、どんな感じやった?』
「なんか、夢みたいやった」
『夢ってなんやねん。まだ寝ぼけてるんか?』
「なんて言えばええの? 現実感がないっていうか……」
去年の二月に活動を始めて、七人の同期に出会った。
そのうちに仲間が十人増えて、たくさんのコラボをして。
今では五十人を超える仲間が活動している。
たくさんの人がファンになってくれて、気づけばチャンネル登録数も十五万を越えていて。
その中の何人かとは直接話す機会もあった。
たくさんのイベントに呼ばれるようになって、レギュラー番組も持った。
たくさんの歌を作ってもらって、たくさんの歌を歌った。
一年間であまりに多くのことがあって、それ以前の私の生活とはあまりにかけ離れていて、もしかして夢を見ているんじゃないかって思ってしまうこともあった。
念願のファーストライブのときも、自分が世界の真ん中で歌っているっていう確かな実感があったのに、今振り返るとまるで浮世離れの物語を見ていたような。
でもそれが確かに現実だったと信じられるのは、あのときの熱く燃えた魂の炎が、まだ心の奥に灯っているから。
『大変やったよね』
「うん、大変やったけど……楽しかったよ」
『カープも優勝したしな』
「そんな話してへんけど!」
目が回るほど忙しくて、体調を崩してしまった時もあるけど、それでも楽しかったと心の底から言える。
それはきっと、一緒にがんばっているライバーのみんながいたからだ。
初めは右も左もわからず、みんなで手探りながら活動を続けて。
そんな中で、コラボ配信とかで仲間たちと一緒にいられる時間が楽しくて、愛おしくて。
配信外でも、眠れない夜にみんなでずっとおしゃべりしていたこともあった。
何人かはオフラインでも一緒に遊んで。ホラーゲームをやってみんなで悲鳴を上げたり、クリスマスにプレゼント交換をしたり。
気付けばにじさんじ以外のVtuberとも仲良くなっていて。
『みんながいなきゃ、ここまで来れなかったかもしれんよね』
半年以上も前に、一期生のみんなで歌った曲を思い出す。
虹の色と同じ数の声が響き合っていて、そこに躊躇わず私の音を重ねると、虹よりも鮮やかなハーモニーが生まれて。
それは今まで聞いたことがない、でも素敵な音だった。
「もっと、ずっと一緒にいれたらなって、思うよ」
『みんなを支えてあげられるようになれるとええね』
窓の外では夜の気配はすっかり去って、冬の寒さに負けないくらいの朝の陽が部屋に差し込んでいる。
『それで、この先はどうしていきたい?』
「どうするって、それはもちろんみんなでハワイ旅行に……」
『もうちょい真面目なこと言って』
鏡の中の私がなははと笑う。
でも、どうするもこうするもないような気がした。
とにもかくにも前へ進むしかない。
まだ見たことのない景色に向かって、ずっと先まで。
はるか遠くで光る虹の向こう側を目指して。
急ぎ足の時間がすべてを思い出に変えてしまっても、思い出の数だけ強くなれるって、私は知っている。
『これからもずっと、続けていけると思う?』
「当たり前やろ。カエデの樹は二百年くらい生きれるらしいで」
『そんだけ長生きしたらギネス記録やね』
「お札の顔にしてもらえるかもしれへんな」
もちろん、いつか音楽は止むのだろう。
それでも今は、終わりなんて来ないと思えた。
時が流れて世界が変わってしまっても、変わらないままでここにいられるって、信じられた。
『さ、そろそろ行かんと、遅刻するで』
「もうそんな時間?」
慌ててカバンを掴む。
『行くまえに、アレやらんと』
「あっ、そうやった!」
鏡にそっと手の平を重ねて、私は私とハイタッチをした。
「じゃあ、行ってきます!」
『今日もがんばってな!』
そう言った鏡の中の私は、今まで見たことがないくらいのとびきりの笑顔だった。
二年目がやってきた。
あまりにもあっけなくそれは訪れた。ちょうど私の一年目が、すっぽり段ボール箱に詰め込まれると同時に。
「……ふぅ。こんなもんかな」
ぎし、と音を立てながら身を投げ出すようにベッドに腰掛けると、冷え切ったシーツの感触に飛び上がりそうだった。なぜか毎年この冷たさを感じるたびに、冬が来た、って感じがする。ただ今年は、それがやけに遅かった気がするけど。
あまりにも遅い大掃除だった。遅すぎて、冬休みなんてとっくに過ぎ去ってしまっていた。気づけば年は明けていて、窓の外では落ち葉が舞い踊っていた。というか、この部屋に帰ってくること自体がずいぶん久しぶりな気がする。埃が薄く積もっている窓枠を見つめながら、最後に帰ってきたのはいつだったろうかと考えたけれど、まるで思い出せなかった。
部屋の真ん中にずらりと並んだダンボールの匂いが鼻につんときて、なんだか物寂しくなった。夜空を照らす花火の音も、じじじと鳴く蝉の声も、耳に響く甲高い鈴虫の音色も、もう聞こえなくなっていた。からっぽだった。私の部屋は、すっかりからっぽになってしまっていた。
「ああ、そうだ。あれ、まだ見てなかったっけ」
徐々に暗くなっていく心の中から抜け出したくて、散らばっているダンボールを手で引き寄せた。あれ、はずれだ。服しか入ってない。もうひとつ引き寄せる。これも違う、入っているのはアクセサリーとか、小物ばかり。あ、これかな。ダンボールの中でも一番ずしりとくるそれを引き寄せて、中身を確認する。うん、やっぱりこれだった。目的のものを無事に見つけた私は、思わずくすりと笑みを浮かべた。
掃除中に、思わず開きたくなって我慢したものを引っ張り出す。おそらくこの誘惑に負けていたら、きっと片付けは朝までかかっていたと思う。それにやっぱり、こういうのはゆっくり見たいもんね。やることを全部終わらせてからの方が、余計なことを考えないでじっくり楽しめるし。
あまりにも時間の流れが早すぎて、どこか現実味がなかった。私が生まれてからの一年は、あまりにもあっという間に過ぎてしまった。濁流のような世界の流れに負けないように、決して流されてしまわないようにずっとずっと走ってきた。だから後ろを振り返っても、どの道を通ってきたのかなんて思い出せなかった。
でも、そんな日々は私の中でしっかりと形となって残っていた。走り抜けてきた日々を決して忘れないようにと、思い出せるようにと、振り返れるようにと。ひとつのアルバムになって、私の手の中に確かに残っていた。
「うっわ、なっついなー……」
ぺら、とページをめくると、生まれたばかりの私がそこには映っていた。顔を傾けながらにかっと歯を見せているその姿は、こっちが恥ずかしくなるぐらいの笑顔だった。今とは違って、横とか下とかも向けなかったし、髪だって今みたいに揺れない姿だというのに。
そういえばあの頃はうまく笑えるように、携帯片手にたくさん練習してたっけな。それを思い出すとなんだか恥ずかしいけれど、同時に誇らしくもあった。だって今思えばそういう努力もちゃんとしてたんだよ、私らしくもなく。もちろん今でも、練習はしてるんだけどね。今度は顔じゃなくて、身体の動かし方だけど。
次第に恥ずかしさのほうが強くなってきて、別に誰が見ているわけでもないのに急いで次のページをめくった。見たことのある顔ばかりがそこには映っていた。あまりにもずらりと並んだ写真に、思わず言葉を失ってしまった。それらを一枚一枚眺めていると、私の一年間がぽつぽつと現実味を帯びてきた。
正直、まだ信じられていない部分はあった。生まれて一年でこんなに多くの人達と関わってきたということ、たった一年でこんなにも素敵な人達が私を助けてくれたということ。でもこうして皆の笑顔を目の当たりにすると、やっぱり現実だったのかなあ、とも思えてくるから不思議だ。
「わ、このページだけやなかったんや……」
何ページにも渡ってそれは続けられた。ページをめくるたびに、私の走ってきた道がきらきらと形作られていく気がした。それはもう、引き出しの奥で眠っている表彰状なんかよりも、ずっとずっと確かなものだった。
すり抜けるような風が窓の隙間から流れてきた。ぶるっと身を震わせながら、布団に転がっている毛布を手繰り寄せると、ひんやりとした感触が返ってきた。しょうがないから、私が温めてあげることにする。眠るときに冷たいままなのも嫌だったし。
「……あ、これ、って」
まだ冷たい毛布に包まりながら何気なくめくったページには、今までで一番きらきらしてる私が映っていた。つい、先日のことだった。つい、先日のことだったらしい。
目を瞑ると、今でもじんじんと耳に歓声が聞こえてくる。痺れるようなマイクの感触がまだ手のひらに残っている。熱いぐらいのスポットライトの光に包み込まれたあのときのことが、しっかりと目蓋の中に映っていた。
どこか別の世界を見ているようだった。それはまだ夢みたいにふわふわしていて、妙に現実味もなく、かといって思い出にもなりきれてない出来事だった。でも、どうやらアルバムを見る限り、それは夢ではなかったみたいだ。
意識が部屋に戻ってくると、目の前には見てるこっちまで熱くなってしまうぐらい輝いている私がいた。それをぼんやり眺めていると、薄い霧のようなものがどうしようもなく近づいてきている気がした。この出来事をひとつの思い出にしてしまう、あまりにも大きな霧が。
ページの隅に、ぼんやりと黒い何かが見えた。それは私の心から浮かび上がってきた黒いなにかだろうか、とも思ったけれど、目を凝らしてみればすぐにそれが違うことに気づけた。枕元にあった携帯を取り出してそれを捉えると、手のひらの中から静かに音楽が流れ始めた。
初めて聞く曲だった。それでもなぜか、すごく懐かしく感じる曲だった。まるで、どこかで聞いたことのあるような。まるで、歌ったことのあるような。聞き終わった後に、この曲は私のために作られたんだと知った。そんな曲たちが、ページをめくる度に広がっていた。
「わ、わ、これ、すご、すっご……」
なんだかすごく飛び出したくなった。窓の外は真っ暗だったけれど、それでもいいやと窓をがらっとあけた。身を凍りつかせるような恐ろしい風が入ってきたけれど、それでも私はひるまなかった。私の中の熱い滾りを冷ますには、まだまだこんなもんじゃ足りないぐらいだった。
夜空を切り裂くような紅い光が、私の目を釘付けにした。澄み切った夜空に、オリオン座が浮かんでいた。星座に詳しくない私でもなんとか分かる星座だった。そういえば去年もこの場所から、この窓の縁から、この輝きを見つめていた気がする。これからの活動が、うまくいきますようにって。
なんだかすごく走り出したくなって、毛布を片手に階段を降りていった。ごめんな、せっかく寝るときのためにあっためといたんやけどな。
「……雪、や」
玄関の戸を開けると、とたんに視界が白く染まった。木の枝には雪がほんのりと積もっていて、私の吐いた息は夜空に白く溶けていった。音もなくしんしんと降ってくる雪を見つめていると、今この世界で起きているのは私だけなんじゃないかと思った。あまりにも辺りが静か過ぎて、私以外の世界中の人たちがかくれんぼしてるみたいだった。からっぽな世界だと思った。からっぽな世界の中で、私はひとりぼっちだった。だけどなんでか今の私は、寂しくなんてちっともなかったんだ。
走った。
酸素を思いっきり吸い込んで、吐いて。吸い込んで。それをひたすら繰り返した。
走った後のことなんて、何も考えていなかった。
どこまでも走った。
今分かっていたことは、帰ったあとにまたお風呂に入らなきゃいけなくなることだけだった。
「っは、っはぁ、はぁ……」
身体中の酸素がなくなって、倒れこむようにベンチに腰掛けた。どうやら気づかないうちに、ふたつ先の公園まで来ていたみたいだった。足元には、公園の入り口からここまで歩んできた軌跡がきらりと光っていた。
私も、周りも、世界も。みんなみんな変わっていくものばかりだけれど、変わらないことも確かにあるみたいだった。来年も、再来年も、十年先も。きっと変わらないであろう輝きを見つめながら、私は天に向かって大きく拳を突きたてた。その輝きに、少しでも近づくように。
決して変わらないものがある。
この足跡のようにあっという間に消えてしまうものなんかじゃない、確かなもの。
それは、私が歩んできた軌跡。
決して消えなくて、これからずっと私を支えてくれるもの。
「今年もよろしくな、」
スーパーな私に声を掛けて、ベンチから立ち上がる。このまま流れ星が落ちてくるのを待っていたかったけれど、それよりも早く帰ってお風呂に入らないと、明日は一日中布団から出られなくなってしまう。それに、願いは自分で叶えられるから。皆がいるなら、叶えられるから。
二年目がやってきた。
きっと一年目よりも、もっともっと楽しくなるであろう二年目が。
Beyond Beyond
リアルノミナルサポースドイマジナリうそかまことかまずは一礼
あのええと届くぞ彼の相談は次元をつなぐバーカウンター
懐かしむすなわちそれは生きることレプリカ買ったなボンゴレリング
右腕が動かせること百トンのかわいい花束胸に抱くこと
顔視線左右に振れる気まぐれにメトロノームの錘は不要
はちじくじうがい手洗いジャージ着て横になるんだ夜の朝礼
ねえ君は月と桔梗を加えてる高い腰にサアベル差して(鬼が好きです)
五千対期待の視線身に受けてにきみは迷わず一本線引く
徒然Ⅰ
戦犯と面談って似てるすぐ熱くなるところとか欠かせんとことか
燃えながら消える炎の在り方に細胞一つ生まれ変わって
チッチッチッチッツァチッタッもうやめた!今日は七回手に投げキッス
何気なく聞こえた「じゃない」が可笑しくてじゃなくていいよ愛でいようか
そうやってきみは魔法をかけるのね晴れた日には雨傘片手に
スーパーで青いシロップ吟味中今日はハワイへ行けないもので
初心者は自動扉に挟まれるいいかよく聴け最初はグーだ
悪いこと今からしようか故意犯さ まだ恋知らぬ横顔茶請けに
えいえんはどこにもないと言うけれどえんえん続くその優しさよ
徒然Ⅱ
何股してんねんしてないかろやかに天然蛸は二万十円
姿見とやっと目が合うぽつねんと富士山だって化粧がしたい
S字を描くガラスに付いた白い跡サルの背骨はCの字らしい
言葉って言葉以上の意味を持つ「元気だよ」もうすぐ夏が来る
目を閉じて眠りに落ちる五秒前ぐんにゃりのびたすべてがせかい
才能と努力を秤にかけるより買いに行こうよ深夜におにぎり
次々と溢るる言の葉この街の虹の単位は八色らしい
東京の日本らしさを知らない 忠犬ハチの鼻筋なぞる
「チョコミントおいしい」なんて言わない夏 世界平和の礎築く
空欄を埋めてください水金地火木土天解を開いて
いそぎんちゃく吸いつく強さそのままにリーフラグーン透明な夜
三角関数が要るかはわからないパンの上にバターは塗らない
昨日から電気のつかないこの部屋でイヤホン越しの絶叫ひかる
最悪最悪最悪最悪さいごに書いた最悪合格
徒然Ⅲ
インパクト重視で名前が決まるなら黒のビキニの真名はビッグバン
人生は始めたときから延長戦八月三十二日のサクレ
革命だおおきにちゃうねん知らんけどレンジでチンしたたこ焼きは旨い
変わらない日常は在る指先に 片方落ちてる靴下で遊ぶ
感情に名をつけるならジェンガ色季語としてあるブラックホール
もう一度薄いピクルス噛みしめたいマクドを探そうここ東京で
皮を剥く林檎が茶色くなる前に(嘘じゃないよと)瓶に詰め置く
あかんくないあかんくないいけるいける字余り字足らずあたたかなうた
呪い、あるいは三年有効の白蛇みたいに契った祈りを
真実はいつもひとつじゃなくていいドレドレソレゾレトランペット